1940年〜
- 年
- 会社の沿革
- 製品・広告の変遷
- 1941
昭和16年 [8月]
創業者 福井貞一
薬剤将校として郡山陸軍病院の開設を命じられ郡山に赴任。初めて郡山の地を踏む。これが、戦後の郡山で会社を興す第一歩となった。
- 1946
昭和21年 [5月]
資本金18万円をもって会社を設立。
商号を『旭日(あさひ)薬品株式会社』とする。郡山市宮田15番地にて製造開始。
【会社設立後、工場として借りていた旧東北振興アルミニウムの社屋】
【塩化カルシウム注射液】
会社設立当初、製造・販売した人体用の製品- 1948
昭和23年 [4月]
動物用医薬品の製造開始
医薬品の自社製造・販売を開始、徐々に売れ始めていたが、その量は限られていた。そのような状況の中、予想もしない馬用リンゲル液の注文を福島県畜産課から受ける。 これがきっかけとなり、動物薬への道を歩むことになる。
【OSM、強力OSM】
動物用医薬品の新薬第1号として開発、発売された馬の骨軟症治療薬- 1949
昭和24年 [5月]
商号を日本全薬工業株式会社に変更
- 1953
昭和28年 [4月]
肝蛭駆除剤の研究を佐渡ヶ島で実施。成功し、製品化。
創業者福井貞一の粘り強い説得に負け、新薬の臨床試験に協力、この後、福井貞一の最大の後見人となった恩人。
【吉田信行先生(農水省家畜衛生試験場北陸支場長、後の麻布大学名誉教授) 】
【ネオヘキサロン】
吉田先生らの協力を得て、開発に成功。発売された牛の肝蛭(かんてつ)駆除剤- 1955
昭和30年 [9月]
抗生物質製剤の製造開始
吉田先生の紹介で福井貞一と出会い、塩の固形化や昭和36年の渡米に際し、尽力してくれた。
【臼井和哉先生(東京大学名誉教授、後に当社副社長)】
- 1956
昭和31年 [3月]
塩の固形化の研究開始
[12月]
工場増設のため昭和一丁目に移転。
【昭和町時代の工場】
- 1957
昭和32年 [7月]
固型塩を「鉱塩」と命名。農林省に製造許可を申請、9月に許可。
杉先生は、福井貞一の塩固形化技術研究と「鉱塩」の製造許可を後押ししてくれた。
【杉二郎先生(専売公社中央研究所研究部長、後に東京大学名誉教授)と福井貞一】
- 1958
昭和33年 [2月]
鉱塩工場を建設、「鉱塩」の製造開始。
塩の固形化技術や専売法など数々の問題はあったが、約2年を費やしようやく初出荷となる。鉱塩の初出荷を拍手で見送る福井貞一と当時の社員。
【鉱塩の初出荷】
【鉱塩】
【鉱塩坊やのイラスト】
漫画家、おおばひろし氏に制作を依頼。鉱塩の包装紙やポスター、全国を廻った宣伝車にも大きく描かれた。